2026/1/23 努力or継続 努力とは都合がよい言葉なのかもしれません

こたつのつぶやき

 どうも、こたつです。

 私がInstagramでフォローさせていただいている方がこんな文章をストーリーでつぶやいていました。

「論文を30本読んだことが努力なのか。3年間何かをやり続け継続させたことが努力なのか。」

 この文章を読んで努力という言葉について考えさせられました。

 努力というものは人によってとらえ方が大きく違います。「この量をやることが努力したことになる。」「量は関係ない、これを成し遂げたことが努力になる。」というような感じです。

「努力」とは、実はあいまいな言葉なのでしょうか。

 振り返ってみると、「努力」という言葉は、自分が頑張っていることを肯定したい時によく使うと思います。

 「自分は頑張って勉強している、練習している」=「努力している」 そのように捉えてしまうんです。おかげで一時的に自己肯定感が爆上がりします。一方で結果が伴っていない場合であっても自己肯定感を上げてしまいます。結果が出ていないのに満足してしまうんです。

 努力という言葉は成立してしまうんです。だから「無駄な努力」「正解な努力」という言葉も聞かれるのでしょうか。

 看護師国家試験で考えると非常に分かりやすいです。

 レビューブックにたくさんの付箋を貼って努力した人、模試や過去問を大切に使って自分のできないところに向き合った人。どちらも努力しています。しかし、よく言いますよね。「国試に落ちたら看護師でもなく看護学生でもなく、ただの人。」だと。「参考書が付箋だらけでも暗記すべきところが暗記できていない人」もよくいますよね。

 もちろん、その努力は何かしらにつながるものだと信じています。私自身、努力が実らなかったことはたくさんありますし、一生懸命何かに取り組んでいる人は素敵です。そういう人と仲良くなりたいです。

 ただ、頑張っている本人が「努力するんだ!」と意気込んでしまうと努力することが目的になってしまいそうだと思いました。

 今までは「頑張った分だけ何かしら還元される。」「努力は還ってくる。」そう考えながら部活も勉強も試験も取り組んできました。今では「結果が思うように出なかったときにだけそう考えればよいのでは。」と思っています。

 自分のお金で大学院へ進学することになり、大学院での成果が自分の今後のキャリアに直結するという状況に立ったからこそ、行動と成果に関してより現実的になったのでしょうか。

努力の上位互換が継続

 自分の行動がそのまま自分の将来・キャリアに直結してくる状況になったからこそ改めることができました。努力ではなく継続がモノを言う。

 私は気持ちの浮き沈みが激しく、物事を一気に進めるタイミングがあれば、ほとんど手が付かないタイミングもあります。やるやらないという二極だけでなく、作業の効果性・効率性にも大きな波があります。簡単に言うと集中力にムラがあるんです。

 そんな私からすると、日々淡々と愚直に継続していくことは至難の業です。

 調子が良いときに頑張るよりも、調子が悪いときでも最低限やり続けることの方が難しいんです。

今年の目標

「毎日ウォーキング、ランニングをする。」「英文を音読する。」「決めた家事を行う。」

 そんな大したことのないことを毎日の当たり前のこととして継続していきたいと思います。

 毎日当たり前のことを、きちんと毎日行う。

 今年はこれを徹底しようと思います。

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